飾り過ぎた文章は、昔から悪文だった
エグゼクティブエディター 上原日々、文章の読みやすさを追求している、上原です。
「国民総ライター時代のWebライティングとは」
これは私がミツエーリンクスで初めて書いたコラムです。16年前に公開したものですが、
- SEOを意識してキーワードにこだわった文章を作るより、ユーザーに理解されやすくするほうが重要
- ページ全体の総論は、冒頭の見出し部分で掲げるほうが良い
といった、現在もWebライティングの基本となるポイントを取り上げて叙説しています。この頃はWebのテキストに対して言及した指南書はほとんどなく、業務で得たわずかなノウハウを絞り出して述べただけ。それでも、本やWebメディアでの執筆依頼が来るきっかけとなった、思い出深いコラムです。
「16年前から、これらのポイントをとらえていたなんて、すごい!」「先見の明!」と、ほめられたい煩悩がないわけではありません。ですが、実のところ、私がすごいのではなく、日本語の文章のコツというものが、ずっと昔から大きく変わっていないだけなのです。思い出のコラムも冷静に評価すれば、古くから伝わる文章術のポイントを、Webという環境に配慮してアレンジしたものと考えることができます。
約90年前から、無駄な修飾語の多い文章は悪文
例えば、形容詞や副詞などで、過度に修飾された文章は悪文、というポイント。現在、ほとんどのライティング指南書で紹介されていますが、文豪・谷崎潤一郎も、文章の書き方・読み方について書いた著書「文章読本」の中で、無駄な形容詞や副詞が多い文章について指摘しています。この本は1934年(昭和9年)に書かれたものですから、約90年前から無駄な修飾語は悪文を作る要素とされてきた、といえるでしょう。
「楽しい・明るい・少ない」など、「い」で終わり、事物の性質や状態などを表すのが形容詞。「いつも・非常に・しばらく」など、名詞以外の動詞や形容詞といった品詞を修飾するのが副詞。「超かわいい」や「とても面白い」など、形容詞と副詞を組み合わせるだけで、感情とその程度を表現できるため、これだけで会話が成立してしまうことも。
その使いやすさから、この組み合わせは多くの日本人の脳に染みついています。そのため、意識せず直感的に文章を作ると、自然と形容詞や副詞が増えてしまうもの。しかし、形容詞や副詞が多いと、口語としては良くても、文語としては嘘っぽくなったり、文章全体の品位が下がってしまったり。簡単に悪文となってしまうのです。
より具体的に言い足す・言い換えることで、回避
これは、ミツエーリンクス本社がある西新宿高層ビル群から、朝日が見え始めている写真です。私がこの写真をSNSに投稿して「早朝の新都心は、とても美しい」という言葉を添えたとしても、読み手は何を美しいと感じたのか、なぜ「とても」が付いたのかがわかりません。それどころか、いい加減に書いたのでは? 新宿さえも美しいと感じる鋭い感性アピール? 徹夜明けの境遇を皮肉っている? などの憶測さえ生まれてしまいます。
私がこの写真を見たときの気持ちは次の通り。17年間私は西新宿のオフィスに通っていますが、朝日が顔を出すような時間に出社したこともない...汗。普段は無機質なビル群でも、早朝の空の色はこんなにすがすがしいなんて知りませんでした。朝日が昇っていくとき特有の高揚感もミックスされていて、私はこの風景をとても美しいと感じました(本当です)。
このような説明をすれば、文意を理解してくれる人も増えると思いますが、写真に添える言葉としてはちょっと長いので縮めてみます。「見慣れない早朝の新都心。すがすがしい空の青と、朝日による高揚感が交ざった、とても美しい風景です」。元の文章より長くなってしまいましたが、多少は伝わりやすい文章になったのではないでしょうか。
ほかにも、「やばい人 → いざというときに頼れる人」とか「かわいいネコ → 寝ている耳がキュートなネコ」など。汎用的な形容詞を、より具体的な言葉に言い換えるという方法もあります。形容詞と副詞の組み合わせは便利ですが、文章だけで説明する際には不十分で、ときには具体的な説明が必要になるのです。
ビジネスシーンでも、ニュースリリースや製品紹介など、読み手の興味を引きたいとき、つい何度も形容詞と副詞の組み合わせを使いたくなります。しかし、多用してしまうと主観的な説明ととらえられてしまうことも。「それって、あなたの感想ですよね?」といわれないよう、バランスとタイミングを見計らっての使用を心がけたいものです。