マルハラを知って、原点回帰した話
エグゼクティブエディター 上原日々、文章の読みやすさを追求している、上原です。
少し前に「マルハラ」という言葉が話題になりました。すでにいろいろなメディアやSNSが取り上げていて、今さらですが、いちおう説明を。マルハラの「マル」は、日本語文章の終わりに使う句点「。」のこと。大人世代や組織の上役から、メールやSNSで送られてきた文章の最後に「。」が使われていると、若者世代は「怒っているのかも?」「あきれているのかも?」と、冷たさや威圧感を覚えることがあるそうです。
初めてこの言葉を知ったときは、「また誰かが新しい言葉で耳目を集めようとしているな」くらいの感想でした。そして、大人世代の大勢を占める、「日本語の基本ルールは守るべき」「若者に合わせる必要はない」という論調に、ほぼ同意していました。しかし、時間が経過した今になって「なぜ若者世代は『。』を見て、冷たさや威圧感を覚えるのか?」という疑問が、急に気になり始めました。
「マルハラ」は、句点を見慣れていないことや、上下関係の産物ではなさそう
「マルハラ」を取り上げたあるメディアは、「若者はLINEなどのSNSで、短文のやり取りに慣れていて、2文にわたる長文は書かない。短文では句点を使わないことが多く、句点を見慣れていないため、違和感を覚えたり、より強い印象が残ったりするのだ」という意見を掲載していました。
しかし、日本人なら誰もが国語の教科書で何度も句点を見てきて、正しい「。」の使い方や役割を知っているはずです。若者もテストや小論文、エントリーシートなどの然るべき場面では、正しく句点を使います。句点を見慣れていないことが、威圧感につながるとは考えにくいです。
また、別のメディアには、「年長者や上役とのやり取りは、そもそも年少者や部下が威圧感を覚えやすい状況にある。句点の有無は関係がなく、単純に萎縮しやすい状況にあるだけ」という意見もありました。確かに大人世代とのやり取りは、若者世代が恐縮しやすい状況ではありますが、マルハラに関して言えば、単純な上下関係の話とも違うと思います。
実は、このコラム作成に先駆けて、数人の若手社員にヒアリングを敢行しました。そこから私が得た知見としては、例え友人同士でのやり取りでも、短い文章に「。」が付いていれば、やはり冷たさや距離感を覚える。やり取りを終えたがっている、というサインとも受け取れるとのこと。どうやら句点から受ける威圧感は、見慣れていないことや上下関係が生み出しているわけではなさそうです。
約物の進化により、書いてある文字以上の意味やニュアンスの表現が豊かに
ここからは私の考えを書いていきます。若手社員へヒアリングはしましたが、実行数が少ないので、あくまで推察の域を出ない個人の感想です。
まず前提ですが、数十年のあいだに、日本語の約物(やくもの)表現は多彩になりました。約物とは、もともと印刷用語で、文字や数字以外の、句読点・疑問符・感嘆符・カッコといった記号のことです。発音はしませんが、文字では表現しきれない意味やニュアンスを、文章へ加えるために使われます。
私が学生時代に触れてきた教科書・マンガ・ゲームの日本語文章には、わずかな約物しか出てきませんでした。「!?(感嘆符疑問符)」など、レアな存在だったはずです。当時は、技術的に工夫できる幅が狭かったのかもしれません。どの文章でも、ほぼ同じ約物が出てきましたから、次第に読み飛ばしていっても大まかな意味を把握できました。
しかし、少しずつ特殊な約物表現が出てきます。私が記憶しているのは週刊のマンガ雑誌ですが、5つの感嘆符を1文字として扱ったり、三点リーダーや波ダッシュを連続で使用したり。表現力が高まったことで、そこに書いている文字以上の意味やニュアンスを、約物で表現するケースが増えてきました。さらに、インターネットや電子メールなどの発達により、トランプのスートや音符、絵文字も表現可能になり、最後の1文字まで読み飛ばせない状況になったと言えます。
単調な約物しかない文章に慣れている世代と、約物が独自の意味やニュアンスを持ち、それを自然と感じ取ることに慣れてきた世代とでは、そもそも「。」の受け取り方が違うのではないでしょうか。
隔離された相手とのやり取りには、約物による感情表現が必須に
また、ちょっと昔までは、自分が書いた文章を誰かが読む(誰かに読ませる)機会は、ほとんどありませんでした。もちろん手紙によるやり取りもありましたが、日常的には会って話をするか電話で話すかがほとんど。そうした環境から、自分の考えや感情を文字にして相手に伝えてきた経験が少なく、それが不得手な人は、大人世代ほど多いように私は感じています。
対して、生まれたときからメールがあり、物心ついたときからSNSがあるのが、今の若者世代です。しかも、コロナ禍の影響で、多感な時期に他者との交流を、隔離された環境に限られてきました。そのため、メールやSNSを使って、自分の感情を文章にして相手に読ませてきた経験は、一般的な大人世代よりも多いと想像します。
会社のチャットツールでは、複数の若手社員が「...!」という表現を使っています。アニメの一休さんのように「3秒考えて、ひらめいた!」という意味かと、私は勝手に考えていましたが......。本人に話を聞くと、恐縮していることとポジティブな心情を表現している、とのこと。今の自分の感情を文字で直接的に表現するのではなく、約物を使って感情を巧みに表現しているのです。なるほど、深い。
おわりに
このように、若者世代は対面できない相手に対して、メールやSNSでフレンドリーさポジティブさを表現するため、約物を活用して文末に工夫を凝らしています。反面、これまで数々の文章を区切ってきた「。」は、教科書的・一方的・無感情さの象徴として扱われるようになり、これが原因でフレンドリーさ・ポジティブさとは対極の、冷たさや威圧感を与える存在になっていったのではないでしょうか?
先にも書いたとおり、これは推察です。異論も認めます。ただ、若者世代が自分の感情表現のために、約物を活用していること。しかも、自己顕示的に使うのではなく、相手がそれをどう受け取るのか、自分との関係性、やり取りの状況などを考えて、約物を使い分けていることは確かなようです。
ヒアリングすればするほど、多くの若者世代が「この文章を読んだ相手がどう思うか」を重視していることを知りました。そういえば最近、私はエディターとして「この文章を読んだ相手がどう思うか」をちゃんと考えて、メールやSNSをしていたかな......? 2024年6月、私は原点に回帰しました。