稚拙と思われても、伝わるほうが良い
エグゼクティブエディター 上原日々、文章の読みやすさを追求している、上原です。
私は今、自分で文章を書くよりも、他の誰かが書いた文章を添削・推敲するほうが、回数が多い日々を過ごしています。そして、他者の原稿を読んでいて、以前よりも表記揺れを目にする回数が減ったなぁと感じています。
過去の苦労話をすると、若者から疎まれるかもしれませんが、少し前までは結構な頻度で表記揺れを指摘していました。経歴豊富なプロのライターの原稿でも、ひとつの原稿で複数の表記揺れを指摘することがざらにあったのです。
表記揺れが減ると、単純に指摘・赤入れの手間が減りますし、指摘したら嫌な思いをさせてしまうかも、というストレスも減ります。文章を添削・推敲する身としては、プラスしかありません。でもなぜ今、表記揺れが減少傾向にあるのでしょうか? 恐らく、ライターを含む文章を作るすべての人に、表記揺れの悪影響が広まりつつあるのだと思います。そして、生成AIの進化により、気軽に原稿を校正できるようになったことも大きいのでしょう。
一方で、一文多意の文章が目立つようになった
その代わりにといいますか、表記揺れが減ったことで、逆に目立つようになってきたのは一文多意(多義)の文章です。これは、句点で区切るまでの文章内に、意味が2つ以上ある状態のこと。ライターであれば、逆の「一文一意」を基礎技術として習得しているはずです。が、生成AIやWordの校正ツールでは、なかなか指摘されないため、見過ごされているのかもしれません。
例文を紹介したいと思います。
(一文多意)
昨日、私は新宿の映画館で新作映画Aを、友人と一緒に鑑賞したのですが、ストーリーが単調でメリハリがなかったために、豪華キャストで話題になっていましたが、映画全体が味気なく感じてしまい、皮肉なことに、塩味の濃かったポップコーンのほうが、私たちの印象に残りました。
(一文一意)
昨日、私は新宿の映画館で新作映画Aを、友人と一緒に鑑賞しました。しかし、ストーリーが単調でメリハリがなかったために、映画全体が味気なく感じてしまいました。豪華キャストで話題になっていましたが、皮肉なことに、塩味の濃かったポップコーンのほうが、私たちの印象に残りました。
多意のほうは、句点まで120文字ほどの文章ですが、ダラダラと冗長な印象があります。そして、いつまでも文章が一段落せず、情報の整理が追いつきません。一方で、一意のほうは、全体で10文字ちょっと増えてしまいましたが、意味ごとに話がわかりやすい大きさで切られていて、内容を理解しやすくなっています。理解しやすい文章は、読み手の誤解を減らし、内容を正しく伝えます。
私は以前このBlogで、1文字でもいいから削り出せ、文字数を短縮せよ、という投稿をしました。今回の一文一意は、それと矛盾するのでは、というご指摘があるかもしれません。ただ、私の考えでは、文字数よりも理解しやすさのほうが、優先順位が上です。他の場所で文字数を削り、一文一意のために文字数を使う。私はこれが理想だと考えています。
Webサイト用の文章を作るなら、一文一意を心がけたい
一文一意はライターの基礎技術ですが、反対意見を持つ人もいます。それは、意味ごとに区切られた文章を、単調で稚拙だと考える人たちです。加えて、一文多意の文章を高度で効率的でスタイリッシュだと考える人たちです。確かに文章の脳内処理に慣れている人からすれば、文章がまとまっておらず、細切れになっていると、一気に情報を処理できません。そのためスピード感に欠け、煩わしいと感じる人もいるのでしょう。
専門家同士の学会や研究発表会、同じ領域の知識を有している仲間内であれば、一文多意の文章のほうが通じやすいうえ、内容が高度に感じられるのは事実だと思います。しかし、それだけです。初対面同士のコミュニケーション、特にWebサイトで公開する文章であれば、多少稚拙だと思われようとも、読み手に伝わったり理解してもらったりしたほうが、絶対に良いと思いませんか?
もちろん、すべての文章が一文一意である必要はなく、ライターが読み手に配慮してケースバイケースで使い分けてほしいところです。そしてもし、あなたがWebサイト用の文章を作っているのであれば、上司や雇用主だけが喜ぶ表現ではなく、その先の読み手(エンドユーザー)に伝わる表現を目指してほしいと思います。