UPA2006カンファレンス報告:「『物語り』を通してユーザビリティを考える」
HCDコンサルティングチーム 小坂 典子「発見のための航海の本質は、新しい景色を探すのではなく、新しい目を持つことである。」—マルセル・プルースト
国際的なユーザビリティ専門家団体UPA(Usability Professionals' Association)が開催するUPAカンファレンスは、今回は過去最高の600名以上の参加者を集めて6月12日〜16日の5日間、米国コロラド州デンバー近郊のブルームフィールドで行われました。ここでは毎年、大学等の学術機関、企業の開発・設計部門、およびコンサルティング会社などでユーザビリティを研究する専門家が、その年のテーマに沿ったプレゼンテーションやパネルディスカッション、チュートリアルなどを行います。弊社は昨年に引き続き、このカンファレンスにスポンサーおよびメンバーとして参加させていただきました。
2006年のカンファレンステーマはUsability through Story Telling(『物語り』を通じたユーザビリティ)となっており、前半2日間のチュートリアル・ワークショップの後、世界銀行で要職を歴任したナレッジ・マネジメントの第一人者である、スティーブ・デニング氏の基調講演で幕を開けました。
ところで、みなさんの中には、なぜ「物語り」や「ナレッジ・マネジメント」がユーザビリティ=「使いやすさ」と関係があるのか、そのつながりを不思議に思う方もいらっしゃると思います。実は私も、カンファレンス参加前はその一人でした。しかし、スティーブ・デニング氏の基調講演の内容を聴いて、ようやくその訳を理解することになります。その後に続くプログラムも、ユーザビリティにどのように「物語り」の概念を活かせば良いかという点を主題においたものが続きました。その中のいくつかをご紹介していきます。
Usability Through Storytelling - The discipline of business Narrative(『物語り』を通じたユーザビリティ—ビジネスコミュニケーション能力の鍛え方) By Steve Denning
イリノイ大学のディアドラ・マクロスキー氏によれば、「説得(Persuasion)」に携わる人々(弁護士、広報担当者、マーケティング担当者、管理職など)の生み出す価値は、GNPの28%にも上るそうです。この講演の主題は、「どうすれば『物語り』によって、人(組織、コミュニティ、家族・・・地球)を変えることができるのか?」ということでした。語りかける人が誰なのか、彼らに何を伝えたいのか、どのように伝えるのか、そしてその結果どんな行動を取って欲しいのか?ということを「語り手(Storyteller)」が適切に理解し、いかに人々に対して働きかけるかによって、裁判の結果やマーケティングの成否が左右されるからです。デニング氏は人をある行動に導くコツを、「注意の喚起—欲求の誘引—(行動への)理由付け」にあると言っています。また、外からの刺激に対する人間の脳のリアクションのスピードは、実は意識や思考よりも速いので、情報を整理し、要点を簡潔にわかりやすく伝えることの重要性も繰り返し強調していました。
当コラム冒頭にあるマルセル・プルーストの言葉は、講演を締め括りとして、デニング氏が選んだ言葉です。人を動かすためのコミュニケーションの本質を端的に表現しており、とても印象的でした。
Enhancing Usability of Print-Based and Web-Based Documents Through Information Design(情報デザインによる印刷物とWebサイトのユーザビリティ改善) By Qiwu Liu, Barbra Enlow / Kleimann Communication Group
普段、電化製品のマニュアルやWebサイトの告知などを見て、要するに、この機械で何ができるのか?この情報を見て、何をすればよいのか?と思うことはよくあります。このセッションでは、情報提供の「悪い例」を取り上げ、その問題点と改善方法について考えました。
印刷物であっても、Webサイトであっても、ドキュメントを作成する上で最も重要なのは「理解のしやすさ」「情報の探しやすさ」「(提供された情報が目標とする)タスクの完了」であり、これを阻むものとして、「対象ユーザの不明確さ」「要点の不明確さ」「ユーザよりも制作側の思い込みを優先させた情報」「論理構造の不明確さ」など、10項目の情報デザイン上の問題点が指摘されていました。評価のサンプルとして、ヘルス・カナダが子供を持つ母親たちに宛てて出した、ある薬品の使用に対する警告文が取り上げられました。この告知は、子供たちの生死に関わるものであるにも関わらず、主旨が不明確で、専門用語が多いため理解がしづらく、次に何をすればよいのか?という具体的な指示に欠けるものでした。この文章の主旨を明確にし、情報を整理し、文章を構造的に並べ替えることで、具体的に取るべき行動がすぐに理解できるようになりました。
このセッションでは、「ユーザビリティ=コミュニケーション」であり、前段のデニング氏の講演で指摘されていたコミュニケーションの手法をどのように情報デザインに活かせるかがわかりやすく説明されていたと思います。
Driving Product Design from the Business Objectives(ビジネス目標が息を吹き込むプロダクトデザイン) By Larry Marine / Intuitive Design Group
巨額の投資を行ってソフトウェア開発を行ったのに、マーケットがないために売れずじまい—というのはしばしば耳にする話です。このセッションでは、ユーザビリティから一歩踏み込んで、ビジネスゴールを達成するための具体的な製品設計プロセスが紹介されました。
せっかく世に送り出した製品が売れない場合、その設計のプロセスは「解決策を先に定義して、問題をあとから探す」、つまり、イノベーションを先に行って、マーケットを後から作ろうとしていることが多いということです。ダーツを投げるときには、投げてから的を探すことはないはずなのに、技術優先の製品設計ではそれが行われやすいのです。
このような失敗を避けるためには、まずビジネスゴールを設定し、それをサポートするマーケティング目標を定め、ターゲット領域の顧客が誰なのか、彼らの持っている最大の問題は何なのか、そしてそれを(製品が)解決できる可能性はどれだけあるのか?という帰納法的な流れで製品開発を行うことが必要となります。マトリックスを利用したユーザ観察や、製品に盛り込む機能の優先順位付けの方法、ユーザタスクの分析手法など、非常に具体的な事例が紹介されていましたので、ご興味のある方は、ぜひ下記のリンクよりセッションの資料をご覧下さい。
このセッションでは、製品開発プロセスでも、情報提供の場合と同じく、誰に対して、何を、どのように提供するのかという一連のストーリー立てが、ビジネスゴールの達成に重要であることがわかりました。
時間の都合上、参加したいセッションを全て聴くことはできなかったのですが、他にもマンガを利用した「物語り」手法の研究やフォーカス・グループを利用したWeb開発手法など、ユニークでわかりやすいものがたくさんあったようです。資料の一部はUPA Webサイトにリンクされていますので、ご覧いただければと思います。
UPAのセッションで考えたような「物語り」の概念は、Webサイト開発やWebマーケティングにそのまま当てはめることができるものです。私の所属するHCDコンサルティングチームで行っているユーザビリティ診断では、ユーザがWebサイトを訪れてから出て行くまでにサイトの中で必要な情報を見つけ、必要なタスクを完了することができる設計になっているかという点を中心に調査を行います。Webサイトにおいてユーザとの接点になるのは、コンテンツとインターフェイスデザイン(情報設計、ビジュアルデザイン)の部分ですが、これらが適切に噛み合い、そのサイトのメッセージをうまく伝えられることによって初めて、対象とするユーザにサイト運営者が描いたシナリオを、意図した通りに演じてもらうことが可能となるからです。
世の中では日々新しい情報が発信されていますが、必要な情報はすでに情報の海の中に存在していて、私たちに見出されることを待っているのかもしれません。Webサイトのユーザビリティ設計に携わることによって、語り手の伝えたい「情報」を、聴き手が求めている「物語」に織り上げていくための一助となればと考えています。
Newsletter
メールニュースでは、本サイトの更新情報や業界動向などをお伝えしています。ぜひご購読ください。