IR戦略、効果的なコミュニケーションで投資家の期待を企業価値に変換
ディレクショングループ 棚橋 弘季企業のインターネット上のIR活動の重要性に関して最近よく耳にします。私たちもお客様からIRサイトのコンテンツに関して相談を受けることがあります。しかし、残念ながら、多くの企業ではまだまだIR活動の意味、IR活動の環境、対象者を本当に理解した上で、自社のIR戦略、IR活動を行なっているとは言えないと思います。経営陣のIRに対する姿勢、組織的な体制を含め、投資家や株主を満足させる観点でのIR活動を行うには程遠い状況のようです。
IR活動とはどのような意味合いをもった活動であるかを理解する
普段、いろんな方とお話させてもらっていても、企業におけるIR活動をその他の企業活動との関係で捉えられていない方(実際にIRを担当されている方でさえも)が多いように感じます。何のために、投資家や株主、アナリストに対して、貸借対照表や損益計算書などの財務諸表や業績を示す数値データを1年あるいは半期ごとに公表したり、トップのメッセージや中期的な経営計画などを発表したりするのか。それが企業にとってのどのような目的で行なわれ、どのような効果を期待して行なわれる活動なのかを端的に捉えた上で、IR活動の実務に携わっている方ばかりではないように思います。
企業におけるIR活動は、下図のようにバランスシートから考えると理解が容易になります。バランスシートの「資本の部」を大きく分けると「資本」と「利益」となります。このうち「利益」はもうひとつの財務諸表である損益計算書から導き出されるもので、要するに、これは企業のマーケティング活動(事業活動)の結果ということができます。言い換えれば、それは顧客を対象にした活動の結果を示す数値です。もう一方の「資本」がIR活動の対象であり、IR活動はこの数値を増やすための企業活動だと言えます。こちらも言うまでもなく、投資家や株主を対象にした活動の結果を示す数値であり、企業が投資家や株主、アナリストなどを対象にして、明確な戦略をもって行う企業活動の成果として、投資という形で増やすことができるものです。もちろん、この投資がなければ、企業活動を推進するための資金の源泉の重要な1つが絶たれることになりますので、その重要性は私が改めて述べるまでもありません。こうしたことが理解されない環境では、どんなIR戦略も効果を発揮できないでしょう。
企業IRサイトの需要の高まりが意味するものは?
IR活動は、その対象者が異なるだけで、基本的にはマーケティング活動同様に企業をどのように、どんなコミュニケーションによってアピールし、理解、共感してもらい、対象者の行動につなげていくかということが課題になります。
最近の傾向として企業のインターネット上でのIR活動についてその重要性が数多く取りざたされるようになっていることも、基本的には企業が顧客のニーズに応じてインターネットをマーケティング・コミュニケーションのツールとして利用していることと本質的にはまったく違いがありません。背景にあるのは、近年、持ち株比率の増加が目覚しい外国人投資家や個人投資家の台頭が最大の要因ということができるでしょう。これまでの伝統的な経営を支えていた安定株主とは異なり、個人投資家や外国人投資家といった新たな投資家は、なかなか企業のIR活動にリアルな場面で接する機会が持てません。
そのため、彼らが投資先の企業あるいは投資を検討している企業について理解を得るためには、企業のIRサイトを通じた情報の入手、コミュニケーションが、手っ取り早くかつ有効な手段であり、それに対するニーズや要求も大きいのです。
個人投資家は企業のIR活動に満足していない
しかしながら、多くの企業のIRサイトは彼らの期待を満たすにはほど遠いというのが現状です。下のグラフをご覧ください。
日経リサーチが2002年8月に実施した、個人投資家の投資先企業に対する満足度調査(対象者433人)からのデータですが、投資先企業(最も保有額の高い会社について)への満足度は、総合的な評価で満足(「非常に満足」「まあ満足」)と回答した人の比率は23%で、一方、不満足(「あまり満足していない」「満足していない」)と回答した人は39%と満足度を大きく上回っています。項目別に見た場合、「ホームページ上のIR情報」に関しては、満足が19%と総合評価を下回り、不満足は逆に27%。「IR活動全般」については、満足が15%とさらに低い数値となっており、不満足も19%となっています。
ここから考えられるのは、個人投資家は企業のIR活動に満足していないばかりか、不満足さえ感じており、本来ならそれを補うための「ホームページ上のIR情報」に対しても低い満足と高い不満を感じているということです。注目すべきは「ホームページ上のIR情報」に不満を感じている人が「IR活動全般」よりさらに多い割合でいて、その数値は「わからない」と答えた人、「無回答」の人を除くと、約3分の1にものぼるということです。
PDFファイルのライブラリと化したIRサイトは、ユーザービリティに欠ける
企業のIR活動の一端を担うはずのIRサイトですが、前項のデータを見てもわかるように、現状ではそのツールが本来最も対象としているはずの個人投資家のニーズ、要求に応えているとは言えません。こうした個人投資家の満足の低さ、不満足の高さを考えますと、そこには大きく2つの原因が考えられます。
まず1つめは機能的な側面から見たWebサイトのユーザビリティの問題によるものです。非常に多く見られるのは、わざわざダウンロードしなくては見ることのできないPDFファイル群のライブラリと化したIRサイトです。HTMLファイルであれば閲覧も簡単でそれだけでも随分ユーザビリティは改善されるはずですが、多くの企業がPDFファイルへのリンクを貼り付けているだけだったりします。さらに悪いことには、ファイルの説明が一切ないため、時間をかけてPDFファイルをダウンロードして見なければ、どんな内容かさえわからなかったりするものもあります。中にはいい事業報告書がありながら、それをそのままIRサイトに載せているだけの企業もあります。単純にそれをHTML化するだけでも随分、訪問者の満足は向上するはずなのに、何故そうしないのか。それではまるで投資など必要ありませんと言っているようなものです。
数字だけでは伝わらない
また、ユーザビリティの問題は公開されている内容に関わるものでもあります。これまたよく見られるのが財務諸表や業績などの無味乾燥な数字ばかりが羅列されているIRサイトです(しかも、PDFで)。考えてみれば、とうぜんのことのはずですが、数字として示すことができるのはあくまで過去の業績でしかありません。しかし、投資する側からすれば、投資は企業の将来に対して行なうものです。もちろん、数字から予測可能な将来もあります。しかしながら、その数字がどのようにして生み出され、どのような形で今後を保障するものかを数字だけから読み取るのは、容易ではありません。投資家が企業の将来を期待できるような情報、たとえば、トップマネジメントが考える企業のミッションやビジョンだとか、中長期的な経営戦略や業界や市場環境に関する展望であったり、将来の業績を期待させる情報が平易なことばでわかりやすく公開されていなければ、投資家の関心、欲求に訴えかけるのはなかなかむずかしいでしょう。
見えざる資産
数字だけでは企業の価値を伝えられないという問題には、そもそも財務諸表のバランスシート自体が企業の総資産を示す仕組みではないということにも原因を求めることができます。著名なコンサルタントであるカール・アルブレヒトが著書『見えざる顧客』の中で「企業の成功や失敗を決定的に左右する重要なもので、現行の会計制度ではまったく評価されないものがある」とし、上図のような5つの「見えざる資産」を挙げているように、バランスシートではそもそも企業のすべてを評価することが不可能です。その結果、バランスシートで評価できる企業価値と市場評価による企業価値には常にギャップが生じます。IRサイトで財務諸表などの数値データしか見せていないということは、重要な「見えざる資産」に関して、投資家にまったくアピールしていないということ以外の何ものでもないのです。
IR活動においても、ポジショニング、差別化は重要な課題
さて、もう1つの問題は、投資家の情緒・気持ちに訴えかけ期待を抱かせようとする意欲、実行が現在のIR活動、IRサイトには欠けているということです。フィリップ・コトラーは「株式市場は、差別化されていない市場の最たるものだ」と言っています。できるだけ安く買いたい人とできるだけ高く買ってもらいたい人の取引の場である株式市場は、確かに価格だけが差別化の要素となる「差別化されていない」市場だと言えるでしょう。
しかしながら、企業への投資は、株式市場だけで行なわれているわけではありません。投資を行なう人の中には、株の価格に対してお金を払うのではなく、企業の価値に対して資金を投資する人もいます。逆に言えば、後者の人たちは、株の価格以外の企業の差別化された要素に価値を感じた場合のみ、投資を行なうのだと言うことができます。先ほど、IR活動は投資家などに向けて行なうマーケティング活動だと言いました。つまり、IR活動においても、マーケティングにおける重要なキーワードであるポジショニング、差別化は、企業の価値をアピールする上で重要なポイントとなってくるのです。製品を買うか、株の購入により投資をするかの違いはあるにせよ、人が企業に対して金銭の支払いを行なう以上、明確な差別化によって魅力をアピールできない企業に対しては、人は財布の紐をほどくことはないということです。
何が差別化の要素となるか?
また、モノ余りの状況が続く現在において、人々が興味や関心を抱く対象の変化をから、マーケティングにおいては差別化のポイントが、機能的なベネフィットから、より情緒的なベネフィットやブランドに代表されるような自己表現的ベネフィットに移ってきています。このことはIR活動においても無縁ではないでしょう。単純に自社の製品属性を中心としたアピールでは投資家に対して自社と競合他社との違いを明確にすることはむずかしいはずです。この場合、「見えざる資産」こそが競合他社との差別化すための重要な要素です。自社ブランドがお客様にどれだけ贔屓されているか、従業員はどのような意識で働いているか、従業員の意識の基盤にはどんな企業文化があり、経営層はそれらの資産をいかにして活用し、その資産を今後どう育てていくかなど、「見えざる資産」は企業のパーソナリティを伝え、投資家の共感を得ることのできる貴重な企業資産です。こんな貴重な企業資産をうまくIR活動の差別化に活かせていない企業がほとんどだというのは非常にもったいないことだと感じます。
IR戦略にもとづくIR活動には経営層のイニシアティブが不可欠
こうした本来的な意味で、効果のあるIR活動を行っていくには、何より経営層の理解とイニシアティブが必要となるでしょう。しかしながら、現状ではIR活動に対する経営層のリテラシー、関与がともに低く、実際のIR活動も広報や財務担当の数名の担当者に一任されているという体制の問題を抱えている企業も多いようです。
P・F・ドラッカーは、経営について「人を通して正しいことを行なうこと」だと言っています。企業のIR担当者がIR活動を正しく行なうためには、経営陣がイニシアティブをもった上で、明確なIR戦略を策定することが必要です。何より、経営層が積極的にIR活動を実行していかなくては、「正しいこと」を行なうことは不可能です。繰り返しになりますが、企業にとって、IR活動とはマーケティング活動と並ぶ主要な企業活動の1つです。これを疎かにして企業経営を行なうことは、今後ますますむずかしくなるでしょう。
さて、明確なIR戦略が策定されると、そこではじめて実際にIRサイトを使って、いかに効果的なコミュニケーションを行っていくかが課題となりますが、それについてはまた別の機会に。
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