ISO13407の循環するデザイン・プロセス
マーケティング・エンジニア 棚橋 弘季今日、Webデザインを考える上で大きな環境変化が起きています。技術サイド、利用者サイドの双方で多様化の傾向が見られます。デザインする上では選択の幅が広がったと考えてよいでしょう。一方で、デザインをする上での選択肢の広がりは、何をどう選択するかの判断が非常にむずかしくなってきていることも意味します。多様化したニーズと多様化したデザイン語彙(ごい)のあいだに適切なマッチングを見つけるには、利用者の行動、経験そのものをデザインするという視点に立った形で、デザイン・プロセスを見直す必要があるはずです。今回は、こうした環境の変化によってWebデザインにはいま何が求められるのかを、ユーザビリティに関する国際規格ISO13407のデザイン・プロセスを参照しながら考察していきます。
Webデザインをめぐる環境の変化
まず、前提となる環境変化を概観してみます。
技術面では、AjaxやPIPなどのプレゼンテーション技術、CMSによる情報資産の統合的管理、サイトの垣根を越えた情報コンテンツの構成を可能にするクローリング技術やAPIの利用など、Webサイトをデザインする上で利用可能な引き出しが大幅に増えてきています。このデザインする上での選択肢の広がりは、Firefoxの拡張機能やブックマークレットなどの形で、ブラウザというフレームの枠を越えた広がりさえ見せています。
一方、利用者サイドにおいても、利用者層(高齢者層の増加など)、利用の際のデバイス(携帯電話、ゲーム機、カーナビなど)、利用シーン(旅行先での利用、出張先での利用、休日の外出時、日常の買い物時など)、利用目的(単なる情報収集を超えた生活や仕事に直結した用途での利用、オンラインでの取引、チケット予約、テレビ番組予約、各種事務手続き、コンテンツダウンロードなど)などの面での変化が見られます。
もちろん、技術サイド、利用者サイドの双方が多様化し、デザインの選択肢が増えれば、その組み合わせはその双方を掛け合わせた数だけ増加します。とはいえ、そのすべてが可能なわけではなく、さまざまな制約条件によって選択可能な組み合わせも限定されます。制約条件としては、コストや工期、ビジネスモデルやCIによる制約が、デザインの選択肢の幅を絞り込みはするでしょう。しかし、それらの制約条件はユーザーには関係ないものです。そうした条件で選択を絞り込んだところで、ユーザーにメリットのあるデザインは生まれてはこないのです。
ISO13407:人間中心設計プロセス
ユーザーにとってメリットのあるデザインを行うには、ユーザー視点で条件を絞り込んでいく必要があります。
その際、参考になるのが、ISO13407の"Human-centered design processes for interactive systems"(インタラクティブシステムの人間中心設計プロセス)の考え方です。前回の矢野のコラムで紹介した「ユーザー中心デザインのプロセス」もこのISO13407のプロセスをベースにしたものです。
具体的には、ISO13407では以下のような形でデザイン・プロセスが定義されています。
- 人間中心設計の必要性の特定
- 利用の状況の把握と明示
- ユーザーと組織の要求事項の明示
- 設計による解決案の作成
- 要求事項に対する設計の評価
「1.人間中心設計の必要性の特定」で最初にデザインする対象(例えば、Webサイト)のコンセプト−それは何なのか? 何を目的としてデザインされるのか?−を定義します。当然ですが、それが何か決まっていなければ、適切なデザインをすることはできません。そして、この定義に基づき、「2.利用の状況の把握と明示」から「5.要求事項に対する設計の評価」までのプロセスを経て、コンセプトに対する適切なデザインを作り上げていくのです。
循環するデザイン・プロセス
ISO13407のデザイン・プロセスには、以下の3つの特徴があります。
- 利用者の視点に立ち、利用者のユーザビリティを確保することを目的としてデザイン・プロセスが定義されている。
- 一般にデザイン、設計という言葉でイメージされる具体的なデザイン案の作成は、「4.設計による解決案の作成」に限られており、より広い範囲で適切なデザインを生み出すために必要なプロセスを定義している。
- デザイン・プロセスにおける2.から5.の段階は、循環するものとして定義されており、そのプロセスは「ユーザーと組織の要求事項」が満たされるまで続く。
ユーザビリティに関しては、同じくユーザビリティに関する国際規格ISO9241-11での定義に準拠し、有効さ(effectiveness)と効率(efficiency)、それに満足度(satisfaction)という要素から構成されるものとして定義されています。こうしたユーザビリティを確保するためのデザイン・プロセスにおいて、なぜ具体的なデザイン案の作成以外のプロセスが必要になるかについては、前回の矢野のコラムを参照していただければと思います。
ここでは、3つ目の特徴である「なぜデザイン・プロセスが循環するものとして定義されているか」について考えてみましょう。
実はごく最近まで私自身、なぜこのプロセスにおいて「2.利用の状況の把握と明示」まで循環するプロセスの中に含まれているのか理解できませんでした。「5.要求事項に対する設計の評価」によって「4.設計による解決案の作成」に見直しが入ったり、新しいデザインが生まれたりすることで、ユーザーや組織の側にさらなる要求が生まれて「3.ユーザーと組織の要求事項の明示」の見直しが行われることまでは納得できていましたが、「2.利用の状況の把握と明示」だけはなぜ循環的な見直しが必要とされるのか理解できていなかったのです。
しかし、はじめに書いたようなデザイン技術の多様化や、利用シーンや目的の多様化という現在の状況をみて、はじめてその必要性が理解できました。つまり、外部環境が変われば利用状況もまた変化するのです。その際には、同じコンセプトに基づくサイトであってもデザインの見直しが必要になる。これが「2.利用の状況の把握と明示」までもが循環するプロセスに含まれている理由です。まわりのWebサイトが新たなデザインによるユーザーの利用経験、利用状況に変化をもたらせば、それ以前の利用状況に最適化していたデザインが突然不適切なものにもなるのです。
これは、企業戦略やマーケティング戦略が、変化する市場の状況に臨機応変な対応を行うのと同じことだと思います。企業は市場環境、顧客の変化に応じて、マーケティング戦略や施策を変更することで、市場の動き、顧客の購買経験や利用経験をリデザインします。それと同じように、Webサイトのデザインもまた、利用状況の変化に応じて継続的にデザインの見直しを図っていく必要があるのだと考えます。
いま、Webデザインに求められるもの
こうした視点でデザインというものをとらえると、デザインするという活動の主体がビジュアルデザイナーや情報アーキテクチャ、あるいはシステム設計者などに限られたものではないことがわかります。利用状況を把握したり、ユーザーと組織の要求を明示したりという段階では、具体的な設計案を作成するのとは別のスキルが求められるでしょう。また、それは設計の評価を行う段階でもいえることです。
何より、既存のビジネス・プロセスをWebに変換した、商取引や各種事務手続きが行えるサイトの場合、サイトに対するユーザーのニーズは同時に、ビジネスそのものに対する顧客のニーズでもあります。こうしたサイトのデザインをする際には、Webのデザイン技術や一般的なユーザーの利用行動の把握以外に、ビジネスそのものへの深い理解が必要となってきて、シックスシグマ活動で用いられるSIPOCダイアグラムやプロセスマップを使ったコアプロセスの把握や、ビジネス・プロセスという視点から顧客のアウトプット要求/サービス要求を理解し、そのパフォーマンスを測定することも求められるでしょう。
また、循環的デザイン・プロセスという視点でみると、Webサイトの構築と運用といった垣根はそもそも意味を成さなくなるでしょう。構築も運用も循環的デザイン・プロセスの一部であり、Webサイトは、構築され公開されたあともユーザーと組織の要求を満たすため、デザインし続けられるからです。先のようにデザインの対象となるサイトがビジネス・プロセスの一部であるのなら、Webデザインを改善することは顧客満足に向けたサービスの改善そのものともなります。
こうした考え方を広義のWebデザインととらえてみましょう。
広義のWebデザインを考えると、顧客企業様においても、従来とは異なる形で、Webとビジネスの関係を再定義し、マネジメントする体制、予算の組み方、戦略とその実行の評価の仕方などについて再考する必要が出てくるのではないかと思います。Webがよりビジネスのコアな部分で利用されるようになれば、Webデザインそのものをビジネス・プロセスのデザインそのものとして再定義することが求められるようになるはずです。
多様化する利用目的や利用シーン、そして、多様化するデザイン技術。こうした状況において、何かたった1つの正しい答えがあるかのように考えるのは間違っています。そうではなく、いまユーザーと組織の要求を満たすためのデザインに求められているのは、常に現時点での最適解を求めてデザインし続けるためのプロセスなのだと思います。
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