国境のないインターネット
取締役(CTO) 木達 一仁コラムのタイトルをお読みになり、いやいやインターネットにも国境はあるでしょう、中国のグレート・ファイアーウォールは有名ですし……といった感想をお持ちなら、それはある意味、正しい感想です。実際、私が監訳した2017年発売の書籍『グローバルWebサイト&アプリのススメ』の第1章「翻訳経済の新しいルール」には、「インターネットにはたくさんの国境がある」という見出しに続けて次のように記されています。
国境のないインターネットが、より国境なき世界を実現すると思われがちです。しかし、実際はその反対のことが起きています。インターネットには厳密な意味での国境はないかもしれませんが、仮想の法的な国境を作る国が増えているのです。
そうした状態は、破片を意味するSplinterとInternetを組み合わせた造語、「スプリンターネット」と呼ばれ、各国のインターネットに対する向き合い方、スタンスの違いが反映された結果と解釈できます。ちなみに冒頭で触れたグレート・ファイアーウォールは、中国のネット検閲システムのことで、万里の長城を意味するGreat WallとFirewallをあわせたものです。
そして目下、ウクライナとロシアの間で、スプリンターネットがもたらす負の影響が急速に深刻さを増しています。報道によれば、ロシア国内外でインターネットが完全に遮断されてしまう可能性は低いものの、さまざまなサービスにおいて既に分断が進んでいるとのこと。結果、情報の非対称性が、親族同士の間柄に対してすら、見解の悲劇的な相違をもたらしています。
Webには、インターネットには、社会をより良く変える力がある。たとえ楽天的過ぎると言われようとそう信じ続け、また今年も始まった会社説明会の場においても、学生の皆さんにそう語っている私は、過去に感じたことがないレベルの無力感と、信条の強さが改めて試されているかのような意識に正直、苛まれている今日この頃です。
インターネットに初めて触れた学生の頃を思い返すと、国境を意識することなく世界中のありとあらゆる情報を探索できるのは、インターネットの(そしてもちろんWebの)最大の魅力だったように思います。死語となって久しいですが、いわゆる「ネットサーフィン」を延々続けるなかで、快楽にも似た謎の全能感を覚えた記憶があります。
宇宙からは国境が見えない、とは宇宙飛行士からよく聞かれがちなフレーズ。実際には、夜間に点灯する警備灯や街灯などにより、視覚的に宇宙からでも判別できる国境線はあるようですけれど……というのはさておき、国境を意識する必要のないインターネットの世界に、宇宙から見た地球の姿を重ね合わせて、宇宙飛行士にのみ許されたマクロ的な視座を、当時の私は無意識に獲得しようとしていたのかもしれません。
クリック一つで地球の反対側で何が起きているか、それこそケンブリッジ大学の某研究室にあるコーヒーポット(一時期「世界一有名なコーヒーポット」と呼ばれていました)のコーヒー残量だって、日本に居ながらほぼリアルタイムで知ることができる。それを当たり前の日常と受け入れる過程は、空間認識の楽しくも不思議な拡張プロセスでした。
もし、インターネットユーザーの一人一人が同じように空間認識を拡張させ、相互の重複部分を広げるなかで、世界とより効率的かつ効果的にコミュニケーションができたら。それで情報の非対称性がゼロになることは無いですし、そもそもゼロにすべきでもない(必要な非対称性は常に存在する)のですが、少なくとも何が正しい情報か、事実認識を巡る悲しき分断は最小化できるのではないか。そう考えるのは、私だけでしょうか?
地球温暖化や海洋酸性化、生物多様性の喪失、飢餓や貧困、差別など、喫緊の環境問題・社会課題に数多く囲まれている私たちは、もはやお互いに憎しみ合ったり、戦争をしている場合ではないはずです。この地球上で人類文明をいかにして持続的発展に導くか、ますます協力し合わなければならないはずです。その手段として不可欠なのはスプリンターネットではなく、国境のないインターネットであると、私は信じます。
つい先日、W3C日本会員の食事会があったのですが、日本のインターネットの父と呼ばれる村井純先生にお目にかかりました。それで思い出したのですが、村井先生がかつて慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパスでされた最終講義について、特に印象深かったくだりを村井純教授の1月16日最終講義全文書き起こし | Matsubo Tech Blogより引用して紹介させていただきます。
人類は、インターネットの前には地球全体を1つの空間だと思って人間が生きる空間を持ってなかった。だが、インターネットでそれが出来た。でも、それと同時に国際空間も持ってる、戦争も起こる、経済制裁も起こるので、この2つを空間として同時に持ってて、それが当たり前だと思うのがインターネットネイティブ、インターネット文明時代の皆さん。(中略)守れよー、地球で人類が初めて1つの空間を作ったんだから、これを1つ1つの国の権利で分断したり、ぶっ壊したり、バラけさせたりさせるなよ。頼むぞ、ここまでやってきたんだから。それで、それが両方で生きてることがとても大事だと。
初めて全文書き起こしを読んだとき、上記のくだりに強く感銘を受けた記憶があります。微力ながら、国境のないインターネットを守りたいと、私も考えています。そしてまた、本コラムを読んでくださった1人でも多くの方に賛同いただけたら幸いです。
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