「想像力は知識よりも重要である」
映像プロデューサー/ディレクター 水ノ江 知丈シナリオが書けない監督・ディレクターを信用できないように、編集ができない(もしくはそのセンスのない)監督・ディレクターもボクは信用しかねます。「それはなんで?」という前に、映像編集についてちょっと考えてみます。
カットとカットをつなぎ、音楽や効果をつけていくと、そこには「意味」が生まれます。
たとえば、総理大臣が予算審議の席で寝ているカットがあるとします。そのカットの前に、犬が寝ているカットを置いてつないでみると、見る人に「怠惰な総理大臣だな」という印象を与えます。でも、同じようにそのカットの前に別の映像、たとえば総理大臣がサミットでヨーロッパに行ったり、党首討論をしていたり、マスコミに取り囲まれながら首相官邸に入っていく、といったような精力的に活動している総理大臣のカットとつなげてみると、「総理大臣って大変なんだなー」という印象が生まれます。
同じ総理大臣が眠っているカットであっても、前後につなげる映像の内容によって「意味」が変わり、ストーリーが形成されていくというわけです。(いわゆる、Kuleshov Effectってやつです。)
とまあ、これは編集の基本中の基本ですが、これを応用していくと、編集によって様々なことを「語ったり」「操作したり」できます。つまり、編集は映像言語だと、そう思うわけです。なので、そういった言語を知らないのは、監督・ディレクターとしてどうなんだろう?と思わざるを得ません。
ここで、映像言語の変遷をチョー駆け足でまとめてみます(映像の歴史は、ほとんど映画の歴史になるのですが)。
今から約120年前、19世紀末に映画が誕生、最初は物語性もなく見せ物的なものでしたが、20世紀になると様々な映画技法を生み出したD.W.グリフィスやセルゲイ・エイゼンシュテインが編集技法を確立。やがて映画は一大産業となり、1930年代以降のハリウッド黄金期には質よりも量を求められ、編集は一種のマニュアル化されたものになります。その後、テレビの登場も手伝って、スタジオシステムは段々と崩壊を始め、1950年代後半にはヌーヴェル・ヴァーグの登場。ゴダールの「勝手にしやがれ」やトリュフォーの「突然炎のごとく」は既成の枠を逸脱し、思想や演出面だけではなく、編集面でもまさに革命を起こしました。マーティン・スコセッシ曰く、「『勝手にしやがれ』はぼくにとって余りにも新しすぎた」と。
1960年代後半、スタジオシステムの崩壊と共にニューシネマという一連のムーヴメントが起き、映画学科を出た者やテレビ出身の若い監督が台頭、映画界を席巻。そして、80年代初頭にMTV(Music Television)が登場します。細かいカットが連続する映像は多大な情報量を発し、視聴者もそれを見慣れてくると短い時間の中でたくさんの情報量を受け入れることができるようになっていきます(ボク自身もMTVの影響を非常に受けています)。
1990年代になると、ノンリニア編集の普及、現在ではCM、テレビ、映画もコンピューターによる編集が主流となり、編集の可能性がより開かれ今日に至る、といった次第です。
こう振り返ってみると、ボクたちが使用している映像言語の多くは、変化し続ける環境や情勢の中で、先人たちが作り上げてきた英知の結晶であることがよく分かります。当時、「勝手にしやがれ」に感じられていた斬新さが、今では当たり前のようになっていることからもそれは分かります。
あらゆる映像を見慣れ、誰でも気軽に映像編集ができる今、特にデジタル世代である若い人たちはショートカットを使いこなし、数値でフレームを刻み込み、よくやるわと素直に感心したりします。とは言え、(少なくとも自分の周りをふと見た時に)技術ありきでの発想が多く、その中でしか発想をしない(できない)ため、発想の幅が狭く、オリジナリティにも欠ける、そんな印象が拭えません。せっかく技術を持っていても、それでは勿体ないなぁと思います。
もちろん、技術を知っておいて損はありません。イメージや発想に技術が全く追いついてこないことも問題です。ただ、技術を前提に発想するのではなく、イメージや発想したものをどうやって表現していくのか。この「どうやって」がオモシロイし、クリエイター冥利にも尽きますし、何よりもクライアントやエージェンシー、視聴者に求められていることだと思います。
技術というのはあくまでも表現するための手段の一つ。
社会も歴史も道徳も変わっていきます。人間の感覚も変わっていきます。変わらないものなんてありません。その変化に目を光らせながら、映像に限らず様々なものにアンテナを張り、吸収し、体験し、アイデアの引き出しをたくさん増やし、想像力を豊かにしたいものです。
とまあ、これはまだまだ勉強の途次である自分への戒めでもあります。
で、結論。
このコラムのタイトルにしているアインシュタインの言葉に尽きます。
想像力は知識よりも重要である。知識には限界があるが、想像力は世界をとりまき、発展を刺激しつづけ、進歩に息を吹き込みつづける。
Imagination is more important than knowledge. For knowledge is limited, whereas imagination embraces the entire world, stimulating progress, giving birth to evolution.※
- ※ 英文はwikiquoteより
<参考までに>
映像編集(特に映画編集)に興味を持った方、下記のドキュメンタリーフィルム、オススメです。
- A Personal Journey with Martin Scorsese Through American Movies(1995)
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今では巨匠と呼ばれる映画オタクのスコセッシが、自身が影響を受けた映画や映画人を列挙し、映画遍歴を語っていく映画好きにはたまらない1本。と同時に映画史も学べます。
- The Cutting Edge: The Magic of Movie Editing (2005)
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映画編集の歴史の変遷と共に、現在も第一線で活躍中の映画編集者(ウォルター・マーチ、マイケル・カーン、ポール・ハーシュ、リチャード・マークスなど)が、自身が手がけた映画を例にし、その手の内を諄々と解説してくれます。
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