ペルソナ/シナリオ法:誰のどんな経験をデザインするか?
マーケティング・エンジニア 棚橋 弘季WebマーケティングやWebサイトのリニューアルのご相談をいただいた際に、「ターゲットはどんな方ですか?」と聞くと、「すべてです」という答えが返ってくることがあります。性別や年齢、それから所得額や職業などのデモグラフィック情報によってセグメンテーションしようとした場合、「すべて」ということなのだと思います。しかし、その「すべて」が本当にすべての人たちなのかというと、多くの場合はそうではないはずです。それぞれの企業、それぞれのブランドには良くも悪くもパーソナリティがあり、それにより相性のよい顧客層も絞り込まれる結果となるはずだからです。
厳しい競争環境のなかで、競合との差別化により顧客を獲得していくためには、本当に自社ブランドの顧客になってくれる人たちを理解することが必要でしょう。その人たちに共通した生活行動パターン、志向のパターンを発見することでセグメンテーションを行い、ターゲット顧客の像を明瞭にイメージできるようにします。ターゲット顧客の人物像、行動パターン、志向性を明確にイメージできるようになることで、製品のデザインやマーケティング・コミュニケーションのデザインも、よりターゲットにフィットしたものにできるようになるはずです。こうした顧客理解に基づくデザイン手法として用いられるのがペルソナ/シナリオ法です。
ペルソナ/シナリオ法とは
ペルソナ/シナリオ法は、デザインプロセスの上流工程におけるユーザー要求分析の手法です。 MicrosoftでVisual Basicを開発し、Windowsを3.1から95へリデザインしたアラン・クーパーが最初に用いた手法として知られています。
ペルソナとは調査データから発見されたユーザー行動の共通パターンを統合しモデル化した仮想のユーザー像です。この仮想ユーザーであるペルソナが、デザイン対象となる製品やWebサイトを利用する際の行動、経験を詳細に描くシナリオは、ユーザーとデザイン対象のモノとのインタラクションを明示する最初の設計図ともいえるものです。
デザインプロセスにおいてペルソナ/シナリオ法を用いる利点
ペルソナを使ってユーザーの行動シナリオを描く利点は、デザイン&開発メンバー全員で、自分たちが作ろうとしているものが誰のためのものであり、その人はいつどんな時に、どんな場所で、どんな目的でどのようにそれを使うのかを共に考えることができるようになる点です。「顧客」だとか「ユーザー」だとかという言い方では、メンバー個々が頭に思い浮かべる人物像は異なる可能性が非常に大きいはずで、そうなるとメンバー間で同じ機能や形について議論する場合でも、何が顧客やユーザーが求めている機能であり形であるのかの判断が、それぞれ異なるものになってしまいます。ペルソナを使うと、そうしたターゲット像に関するメンバー間の認識の違いというロスは少なくなります。
また、自分たちがデザインしようとするものを、ペルソナが実際にどのような場面で、どんな目的で利用するのかをシナリオとして詳細に描き出そうとすれば、当然、シナリオを描く過程において、自分たちがユーザーについて何をわかっていないかが見えてきます。なぜなら、わかっていないことは描きようがありませんから。
ユーザーが製品を利用する場面の「予告編」をつくる
世界的に評価の高いデザイン・コンサルティングファームであるIDEOでは、ある製品のデザインを行う過程で具体的なデザイン作業に入る前に、その製品をユーザーが使うシーンを克明に描写した「予告編」の映像を制作することもあるそうです。もちろん、この場合でも、ユーザーがその製品をどう利用するかが明確でなければ映像化はできませんし、また、映像化することで画面に映し出されたユーザー行動が不自然ではないかを客観的にみることができるようにもなります。
同じことがペルソナを用いたユーザー行動シナリオにもいえます。デザイン対象と仮想ユーザーであるペルソナが織り成すインタラクションを描くことで、自分たちがデザインするものをユーザー視点で客観視できるようになるのです。
エクスペリエンスのデザイン
ですので、ペルソナを使ったユーザー行動のシナリオを描くことは、単に製品なりWebサイトのデザインをするためのものというより、製品やWebサイトとそれを利用するユーザーとの相互に関連した動きや、ユーザーの経験そのものをデザインすることにつながります。
B・J・パインIIとJ・H・ギルモアによって書かれた『経験経済』やバーンド・H. シュミットの『経験価値マーケティング』『経験価値マネジメント』などのビジネス書のベストセラー化に端を発して、顧客やユーザーのエクスペリエンスに価値を見いだす流れは、昨今ではWebをはじめとするインタラクション・デザインの分野でも非常にもてはやされるようになっています。こうしたビジネス側からの流れと、1980年代のイギリスではじまった情報技術に対する人間工学(ITE: Information Technology Ergonomics)の領域、ESPRIT(European Strategic Programme for Research and Development in Information Technology)プロジェクトなど、後にISO9241-11やISO13407などの人間中心設計として規格化される流れ、そして、アメリカにおけるドナルド・A・ノーマンが提唱したユーザー中心設計(user centered design)など、それまでのシーズ志向のアプローチから、ニーズ志向のアプローチに転換し、かつマーケットリサーチなどの既存の手法に対する具体的な対案を提示した流れが融合するように、いま、あらためて人間のエクスペリエンス全体に焦点をあてたデザインの必要性が注目されるようになっています。
ドナルド・A・ノーマンの3つのデザイン・カテゴリー
先述のドナルド・A・ノーマンは著書『エモーショナル・デザイン?微笑を誘うモノたちのために』のなかで、人という生物が行う3つの異なる脳処理レベル(本能レベル、行動レベル、内省レベル)にはそれぞれ対応するデザインがあるとし、本能的デザイン、行動的デザイン、内省的デザインの3つのカテゴリ化を行っています。ノーマン自身がその本のなかで「人間中心のデザインを適用することによる効果が生まれるのは、この行動レベルである」と語っているように、これまでの人間中心設計の手法が着目していたのは、機能面における使いやすさを目指したユーザビリティの向上でした。しかし、市場における現在の競争をみてもわかるように、人は製品やサービスをその機能のみで選ぶことはありません。直感的に「かわいい」「きれい」と感じるものを好む傾向はありますし、その反対に本能レベルでは嫌われるはずの苦いコーヒーや、「キモかわいい」デザインのものを内省レベルで求めたりもします。エクスペリエンスのデザインが視野にいれるのは、これまで中心だった行動レベルのデザインに加え、本能レベル、内省レベルでも人々の経験を価値あるものにすることだということができます。
「理解」と「観察」に基づくエクスペリエンスのデザイン
ペルソナ/シナリオ法は、まさにこうしたエクスペリエンスのデザインを実践する上で非常に有効な手法です。もちろん、ユーザビリティ向上のための人間中心のデザインプロセスに用いることも可能ですし、本能レベル、内省レベルを含めた、より広い意味でのユーザー経験、顧客経験の価値を向上するための手法としても利用できます。
もちろん、そのためにはターゲットとなるユーザーの現実の姿をフィールドワーク的な「観察」によって理解する必要があります。そうした事実の調査に基づく発見がなければ、ペルソナは仮想ユーザーではなく、単なる架空のユーザーになってしまいます。
また、ユーザーの側を知るだけでなく、自分たちがデザインしようとしているものが市場の文脈、社会的文脈、歴史的文脈においてどのような意味をもっているのかを「理解」することも必要です。競合製品との関係、製品カテゴリに関する社会的イメージ、製品カテゴリがたどってきた歴史などを理解しなければ、ユーザーがその製品を利用する文脈の理解もむずかしいはずです。
先述のIDEOでも、
- Understand(理解)
- Observe(観察)
- Visualize(視覚化、具体化)
- Refine(改良)
- Implementation(実行)
というデザインプロセスの5つの段階の上流工程に「理解」と「観察」の2つのプロセスを行った上ではじめて「視覚化、具体化」という実際に形をつくるデザインを行います。これは自分たちが単にモノをデザインしているのではなく、ユーザーがモノを使うという行為そのものをデザインしているのだという意識が強くあるからなのでしょう。何よりIDEOはデザインによりイノベーションを実現する企業として世界的な評価を得ているのですから。
本質はずっと変わらない
自分たちがデザインしようとするものの文脈を理解し、それを実際に利用しているユーザーを観察することで、ユーザー自身も気づいていない潜在的なニーズや問題点を発見し、それをペルソナ/シナリオ法も用いてデザインによる改善策の基本構想を練り上げていく。こうしたデザインアプローチは、エクスペリエンスを価値とする競争が激化している今日の市場環境においては有益な結果をもたらしてくれるものだと考えます。弊社では本日、こうした市場における顧客企業様のWebサイト構築、マーケティング・コミュニケーションのデザインの支援のために「ペルソナ/シナリオ作成サービス」をリリースさせていただきました。しかし、こうしたデザインアプローチ自体がまったく新しいものかといえば実はそうではないと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチは生涯でほんの十数点の絵画作品しか遺していませんが、その一方で人体の解剖図をはじめ、鳥の生態や風や水の動態の観察記録、建築や人力飛行機の設計図や未完成の作品の素描など、数多くの手稿を遺したことから万能の天才と呼ばれています。レオナルド・ダ・ヴィンチが行ったのも徹底した人や自然やモノの観察であり、理解でした。それを結実したものこそ、Visualize(視覚化)された彼の絵画作品だったのであり、だからこそ、歴史上でも他の追随を許さない質の高い絵画作品を遺すことができたのではないでしょうか。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画では、モナ・リザに代表されるように、前面の人物像だけでなく、その人物がまとった衣服や家具、周囲の草花、背景にある山岳や河川まですべてが非常に緻密で繊細に描かれています。いま、私たちに求められているのもまさに、顧客がある製品を必要とする場面、ユーザーがどのような場面でWebサイトを利用しているのかを、その人と製品、Webサイトの関係だけでなく、その背景まで含めてレオナルド・ダ・ヴィンチの描いたように緻密に描くことができるかということではないでしょうか。本質にあるものはずっと変わっていないのだと思います。ペルソナ/シナリオ法は、モナ・リザがずっと飽きられることなく魅力を保持し続けるように、長く魅力を保ちうる製品、Webサイト、そして、ブランドをデザインするために有効な手法だと思います。
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